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伊藤 舞 itou mai

  • 2023.07.16

幼さの残る自分とは反対に、大人っぽくて洗練されたような彼女との出会い。それが伊藤舞ちゃんだった。初めての出会いは東京の〈白日〉というお店。当時スタッフとして働いていた彼女はモデルのような凛々しい存在感で、私の心に圧倒的な憧れを抱かせた。

まさかの同じ年ということで、どのような道を歩めば強く美しい存在になれるのかと心底気になった。だから、舞ちゃんが長崎に引っ越してから彼女の話を聞いてみようと思ったのだ。

「そんな印象を持っていてくれていて嬉しい!けれど、最初はもっと自分に対してコンプレックスを抱いていたんだ」。

幼い頃から自身の容姿に自身がなかったという彼女。ある時、アクセサリーを身につけることで、自分のことを大切にできると感じたという。

「ジュエリーを身につけている時の自分がとても誇らしく感じたんだよね。ジュエリーをつけていないと自分じゃないと思うくらいありのままの自分でいられたの」。

好きなジュエリーを身につける日常は喜びに溢れていた。ファッションにも興味があった彼女は、社会人になるとアパレル会社の社員として原宿の店舗に勤めることに。服やアクセサリーが人の魅力を引き立たせる現場に充実感を感じていたという。しかし、果たしてこれが本当に自分のやりたいことなのだろうか、と迷う気持ちもあった。

その時に出会ったのが〈白日〉というお店だった。古道具や作家の作品などに囲まれた空間は、東京という土地ではひときわ時間の流れが独特に感じられた。はじめはお客さんとして、その後は縁があってスタッフとしてお店に関わることになった。そこでの時間が、自身のやりたいことに気づかせてくれたという。

「アパレルとして働いていた時から、心のどこかでジュエリーを作ってみたいという想いが芽生えていたんだけれど、〈白日〉で働いた時間がその気持ちをより明確にしてくれたよ。様々な展示の手伝いをさせてもらった中で、特に印象的だったのがyasuhide onoさんのジュエリーの展示。鉱物と丁寧なマクラメ編みによるジュエリーは、まるで地球の美しさをそのまま形にしたようだった。小野さんが手掛けるモノは小野さんにしか作れない。ならば、自分が作りたいモノは何だろう。そう考えた先に思い描いたのが、オブジェのようなシルバーアクセサリーだったんだ」。

オブジェを身につけるような遊び心をジュエリーに宿したい。その想いは東京から長崎に引っ越してから形となってはじまった。自分がイメージしたデザインを形にしてくれる工場と出会い、何度もやりとりを重ねて、半年かけてはじめて自身のブランドとしてジュエリーが誕生した。

ゆらゆらとした曲線が特徴的で、小さなくぼみがいくつかあることで、光の反射がアクセサリーの一瞬一瞬の表情を多彩に見せる。ひとつの形を越えた先にある様々な見え方が、自由度の高い楽しみを教えてくれるよう。デザインのイメージは、自身の暮らしから生まれた。かっこいい山や美しい海など豊かな自然が身近にあるため、そこからインスピレーションを受けることが多い。

「自分でブランドとしてものづくりをしていくのは初めてだけど、アパレルの販売員としての経験が今につながっていると感じるよ。ジュエリーは人が身につけて初めて成り立つもの。だからこそ、お客さんの気持ちやファッションの楽しさを知っている販売員じゃないと作れないものもあると思うんだ」。

自分らしいものづくりを目指しながらもそのアイデアはひとりでは形にはならない。協力してくれる工場の人たちができることを汲み取りながら、自分が形にしたい想いはしっかりと伝える。その人同士のやりとりこそがモノとして生まれていくという。

ものづくりの他にも、夫である森田健太さんと共に古道具と作家の作品を取り扱うギャラリーを営んでいる。お店をやりたいという夫の想いを共に形にしようと、夫の地元である長崎を拠点として、自宅のガレージを改装してはじまった。

ギャラリーで取り扱うものは、東京で過ごしていたときに出会った作家の作品や、県外で買い付けた古物が多い。古物は器や壺など、年代や国、用途を問わず、雰囲気がかっこいいと思ったものを空間に並べている。

「好きな作家さんのひとりに、大山求さんという鉄作家さんがいらっしゃって、工房がある山口県まで会いに行ったんだ。大山さんが手掛ける花器や灯明などの作品の背景にある姿勢や、鉄の可能性に向かい続ける姿など、お話を伺うことでより多くの感銘を受けることができたよ。だからこそ、その情熱から生まれた美しいものを、自分たちのギャラリーを通してお客さんに伝えていきたい」。

ギャラリーを営むということは、作品が良いからお店で取り扱いたいという簡単な話で成り立つことではない。お店と作家の思考が合致しないと、作品の本当の魅力は第三者には伝わらない。お店とは様々な人の想いが集まって形になる場所だからこそ、生半可な気持ちではできないことだという。

「ギャラリーをやっていく上では、お客さんのことも考えたい。お客さんもひとりひとり違うからこそ、どうしたら満足してもらえるのか、どういうところに需要があるのか、そういうことを考えていくことは、お店の独立のノウハウを知っているか知らないかは関係なく大切な要素だと思う」。

人が最終的に求めるものは、モノでも環境でも空間でもなく、人と人のやりとりにあるのではないかという。その考えの背景には、これまでモノとお客さんの架け橋として働いてきたからこその経験があった。

ギャラリーをはじめてまだ半年も経っていないが、今後は国外での出店なども目標にしている。日本の古道具や、作家の作品の魅力をもっと海外にも広めていきたいという。

「海外の方は、日本の道具や作家の作品に強く魅力を感じてくれていて。日本の生活には当たり前にあるモノでも、それは別の人の心を豊かにしていたり、日本人にとっても新しい発見に満ちていたり。そのような良い気づきを、国外の関わりを持つことで、お互いが感じていけたらいいなと思っているよ」。

ものづくりもギャラリーもこれからだ。誰しもが簡単にお店の扉をノックしてくれるわけではない。まだまだ手探りな状態のなかで、それでも、確信していることがあるという。それは、自分がかっこいいというものが暮らしにひとつあるだけで、空間の質が変わり、日常がより美しく感じられるということ。

「山田洋次さんや岩切しうおさんなどの器を使って生活していることがうれしい。ジュエリーが身につけて成り立つモノであれば、器などは生活にあってはじめて成り立つモノ。自分にとってはそこから感じられる豊かさに価値があると思うから、これからも、ものづくりとギャラリーを共に続けていきたい」。

伊藤舞。魂の強さが真っ直ぐ生き方に表れている。物怖じせずに自分の足で歩んでいこうとする。その足元の土地がたとえ慣れ親しんだ東京ではなく、はじめて出会う長崎であったとしても、彼女はそこでの時間に自分自身の生き方を見つけていくのだ。

「東京では怒涛の日々だった。それに比べると、この土地ではモノや情報が少ないから、様々なことに縛られることなく、自分自身を見つめて、自分がどういう人間であるかを知っていく時間にできたんだと思う」。

家族も友人もいないはじめての土地。最初は暮らすことに不安も感じていたが、自分がやるべきことをしっかりとやっていけば、助けてくれる人や応援してくれる人が必ず周りにいることに気づいたという。

「今はゆっくり自分自身のバネを作っている過程なんだと思う。やりたいことがすぐに形にならなくても焦る必要はなくて、インプットやアウトプットを繰り返しながら今という時間を生きていく。それこそがきっと次のターンへの道になるから」。

彼女の耳元で光る銀色の質量。そこには彼女が出会った日常の風景のほかにも、私なりのひとつの言葉が見えるようだった。

〈Silver lining〉。

日本語で〈希望の光〉という意味だ。

人生には良くも悪くも様々なことが起こりうる。けれど、どんな時でも、舞ちゃんの目指すものや生き方が彼女の心のなかで熱く輝いている限り、それは〈Silver lining〉としてその道を照らし続けていくのだろう。

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Ayaka Onishi

大西文香 1994年兵庫県生まれ。写真家。



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