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るか luca

  • 2023.10.27

 

学校のクラスメイトに彼女がいたら、私の青春はもっと濃厚で自由なものになっていたのかもしれない。そう思ってしまうほど、彼女の思考は広く深く研ぎ澄まされている。それが〈るか〉である。10代の頃から社会問題や環境問題に向き合い、行動し続けてきた彼女の姿勢は自分にはないものだった。

音楽活動では〈LUCA〉として作曲やライブなどを行っている。私も初めての出会いは彼女のライブがきっかけだった。そこから、彼女との時間を重ねることで、その人柄や考え方に触れて、LUCAさんだけではない〈るか〉という存在を好きになったのだ。

彼女の生まれはアメリカ。5歳で仙台にやってきた時から、生活や文化が異なっていることに対してカルチャーショックを受けたという。学校のクラスにも馴染めず、日本を出て海外に行きたいという気持ちを抱きながら幼少期を過ごしていた。

そんな中、2011年の東日本大震災をきっかけにデンマークへ行くことを決める。当時17歳だった。

「当時の日本は、福島の原子力発電所の問題のほかに、消費税の値上げなど国民の不安要素がたくさんあったの。対して、デンマークは原子力発電所が検討された時に、国民が反対運動をして、廃炉になったという事例があったり、消費税も日本より高いのに、税金が国民の暮らしへと循環していくことで、国民が安心して税金を収めることができていたり。エネルギー問題や、福祉、環境、政治に対して国民の意識が高くて、そういう国に身を置いてみたかったんだ」。

国民ひとりひとりの精神に触れることによって、多くの経験や学びを得ることができた。中でも、国の問題に関して国民が自分事として向き合う姿勢の背景には、デンマークの教育が影響を与えていると感じたという。デンマークの教育では、ひとりひとりが自分で物事を考えて解決していくことが重要視されている。答えそのものよりも、どう思ったか、なぜそう考えたか、ということを自分なりに言葉にすることに対して評価がされる。教育や文化など、日本との違いを学んだ貴重な経験だった。

しかし、国籍や言語が違う人と関わる日々は、コミュニケーションの難しさにも直面する。時には一日誰とも話さない日もあり、次第にストレスを感じるように。

その時に出会ったのが音楽である。友人からもらったギターを手にして、心の赴くまま歌を歌うことは彼女の心の癒しとなった。

「自分が心地よいと思うメロディーを奏でたり、心に浮かんだ言葉を歌詞にして歌ったり。そのようにして初めて作った曲が〈Denmark〉だったよ。デンマークでの美しい知恵のある生活とそこに対する喜びを歌っているよ」。

歌うことや曲にすることの楽しさにもめぐり逢いながらデンマークでの一年間を過ごした。

帰国後、芸術や美術への進路にも関心を抱いていた彼女は、デンマーク教育のワークショップをしていたガルバ・ディアロさんと出会い、再びデンマークを訪れることになる。彼が教師を務めるフォルケホイスコーレに入学して、様々なバックグラウンドを持つ人と共に、国際問題や政治、芸術など自身の学びを深めた。その日常にはいつも音楽の存在があったという。

ある満月の夜、力強い月光の中で、意識だけが過去や未来へと旅をするような不思議な経験をした。満月の存在が自身にもたらした心情を、いてもたってもいられずに、あっという間に曲にしたのが〈Full Moon〉だった。そして、この曲は、音楽の道を歩んでいく決意を彼女に与えた。

「自分自身が音楽で癒やされていたように、聞き手にも癒しを与えることができると思ったよ。そして、地球の美しさを曲にしていくことで、直接的じゃなくても社会や環境についてのアプローチができるのでは、と音楽を自分の活動の軸として考えるようになったんだ」。

帰国後も音楽活動を続けて、2015年にははじめてのソロアルバム〈SO,I Began〉が完成する。その後も、坂本龍一やThere is a Fox、haruka nakamuraなどの音楽家たちとの関わりのなかで新しい曲がいくつも生まれた。時にはメンバーと共に旅をすることで、各地の美しい景色や音楽以外の人々と出会うことにもつながった。

また、鳥取県の民謡〈貝殻節〉をきっかけに、人々の営みから自然と生まれた民謡という歌のあり方にも出会う。古くから各地で継承された民謡の背景には、音楽による表現ではなく、土地への愛しさや美意識があり、それらを残していきたいという想いから2020年に〈摘んだ花束 小束になして〉をアルバムとして発表した。

音楽制作に対して一曲一曲、丁寧に向き合ってきた彼女は、各地でのライブでも自身の想いを歌に添えて観客に届けている。

「優しいことで損をする世界ではなくて、優しいことがそのまま真っ直ぐ受け止めあえる世界になってくれたらいいな。〈光の波瞬く間に〉や〈くじら〉という曲も、見返りを求めない無条件の愛情を持っている人たちや、自然の風景に出会うことで生まれたものだから、これからも大切に歌っていきたい」。

彼女の歌が生まれる時にはいつも宇宙の存在があるという。人々に共感されやすい音楽作りではなく、宇宙で星々が誕生する時のような強いエネルギーが音楽の制作へと繋がっているのだ。

世界規模を超えて宇宙規模の視点で音楽を生み出していく日々。同時に、音楽活動をしていく中で心に芽生えていた気持ちにも向き合うように。それは、自身の暮らしをしていくということだった。10代の頃から、勉強や音楽を通して、国内外を旅しているような忙しない日々だったからこそ、土地に根ざした暮らしにも意識を向けていた。

彼女のルーツは生まれた土地、アメリカのバークレーにある。文化や社会に対して自由な意見を持って生活できる街であり、環境や教育において食で革命を起こした〈シェ・パニーズ〉というレストランがあることでも有名である。暮らし方や社会をより良くしていこうと自由に生きていく人たちが多く、その姿勢や環境は彼女にとって暮らしの喜びになると感じている。

自分なりの暮らしの喜びを求めて、現在は京都と岡山を拠点としている。岡山では、パートナーである村上宙くんが営む飲食店〈ohayo mimasaka〉を手伝いながら彼と一緒に暮らす日々。ここでは、火や土、水などの自然の恵みを、食や暮らしで活かしながら料理を提供している。自分たちの納得できる暮らしを体現することで、訪れる人にも食や暮らしの根本にある豊かさを思い出してもらいたいという。

お互いの活動を支え合いながら生活する二人は、音楽や食の価値が世界でどのように役立つかを日々目標としている。

「Think globally,act locally(地球規模で考え、足元から行動せよ)という考え方がとても好き。利己的な野心や成功ではなく、世界や人々に向けて良い影響を与えられるように、自分たちの生き方そのものを成長させていきたい」。

〈るか〉と〈LUCA〉。幼い頃から文化の違いや、震災の出来事、音楽で出会ったものなど、様々な体験が彼女の思考と行動の糧となっている。彼女はいつも太陽のように真っ直ぐだけど、そこには人並みならぬ努力と思いやりの心がある。そして、彼女が生み出すものには、音楽だけではなく絵や言葉にも、私たちが幼少期に置き去りにしてしまった喜びの楽園が溢れているのだ。

彼女の表現や生き方は、これからも沢山の人や場所を柔らかく調和していくのだろう。

今回の取材で、暮らしというキーワードに対して、「使命を持っていることも暮らしの一部」と彼女は言ってくれた。その言葉は、それまで、誰かと一緒に日常を送ることや、どこか一箇所に根ざすこと、穏やかに日々と向き合うことだけが「暮らし」だと思っていた私の心を軽くしてくれた。

世界を五感で感じてきた彼女は、暮らしに対しても多様性を見出しているのかもしれない。

その日、〈ohayo mimasaka〉で行われていたイベントに足を運んだ私を、るかさんと宙くんは笑顔で迎えてくれた。お店では、二人がベトナムで旅をした時に出会ったという黒糖タピオカ豆乳プリンを作ってくれた。夏の暑さを涼ませるような味わいと、二人がいることで生まれる和やかな時間。無邪気に笑い合う二人の様子や、二人が生み出す暮らしのひとときが、今日という光に照らされているようだった。

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Ayaka Onishi

大西文香 1994年兵庫県生まれ。写真家。



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