野瀬 瑠美 nose rumi
海の潮風と共に運ばれてきたような秋の長閑な時間。私は電車にゆられながら福岡県福津市福間駅にたどり着いた。
古民家で暮らしている野瀬瑠美に会いたくて彼女に連絡をとれば快くお時間をいただくことができた。駅まで迎えに来てくれた彼女が走らせてくれる車の助手席はなんだか自分にとって特等席のようだった。
以前、るみちゃんが京都に来てくれて夜の鴨川でお話をした余韻を感じながら今日はどんな話ができるのだろうと、心を弾ませた。同時に車窓からの眺めは私の心をゆるやかに和ませていく。
住宅やお店がなだらかに立ち並び、どの建物もその街の中で⼼地よく呼吸をしているよう。時折、福間海岸沿いの道からは松林や海の景⾊が⽬に映り、⼟地の⾵や光が穏やかにその時間を包んでいるようだった。
「ここの古⺠家とっても可愛いんだよね。この家で暮らしているおばあちゃんもとっても優しい⼈」。
野瀬瑠美がご近所さんの古⺠家をぬくもりのある眼差しで⾒つめて言う。北九州で⽣まれ育った彼⼥が現在の古⺠家で暮らし始めたのは2018年の春。家の中の台所には沢⼭の調味料や⾷器が並び、居間の縁側からは小さな畑が太陽の光を浴びていた。
もともと幼い頃から古い暮らしに憧れていた。⼤分県の⽇⽥市にある祖⺟の実家での時間が原体験として⼼に残っている。当時、集落に並ぶ藁葺き屋根の家の側には綺麗な川が流れており、ひとつの⾵景の中で暮らしが営まれていた。
「⼩学⽣の頃から、昔の暮らしで使⽤されてきた道具が好きで、よく絵の上⼿なおじいちゃんにお願いをして、道具の絵を描いてもらっていました」。
利便性だけが暮らしの全てではない昔の生き⽅に惹かれた。マンションで育ち、家族は誰も古い暮らし⽅を知らなかったが、醤油や味噌作りなどを独学で学び、簡単に⼿に入るものも可能な限り⾃分で⼿間をかけて作るようになった。
「当たり前にみんながやっていた生き⽅をしたいだけ」。
古⺠家では〈閒(あわい)〉という場を設けて、2019年11⽉から⾝体の⼿当と気の調えを⾏っている。⾝体の⼿当ではタイ式マッサージを軸にいくつかの⼿技を合わせたものを、気の調えでは来客との対話の中で⾝体ワークや瞑想などその⼈に適した⼼と⾝体の調和を⾏っていく。
〈閒〉をはじめるにあたって、⼤学卒業後に偶然タイで取得した資格や、学⽣時代に学んでいた〈対話の場作り〉の経験が活かされた。〈対話の場作り〉はディベートではなく、ダイアログの場をいかにして作るか、そして⾃分がどうあるかを意識するものであったことから、⼈が芯から生き生きするためのサポートにつながるのではと感じた。
「物事というのは何かと何かの間で発⽣していて、例えばこの会話は私と⽂⾹ちゃんの間に生まれるものだし、⼆次元や三次元、奥⾏きや垂直があって空間や時間になるし、⼈と⼈にも間があるから〈⼈間〉という字になる。そしてこの〈間〉は英語では直訳できなくて、spaceやbetweenとも違った⽇本⼈独特の感覚なんだよね。ひとりひとりが〈間〉を⾃分たちらしく受容できれば、生き方や社会が健やかにめぐっていくのではと思ったことが〈閒〉を始めたきっかけだったかな」。
頭の中でイメージしたのは⼯場の⻭⾞だという。⻭⾞同⼠は隙間がなさすぎても動かず、隙間だらけでも稼働しない。スムーズに噛み合うためにはほどよい隙間が必要であり、それは対⼈関係や物事の捉え⽅にも通じるものだった。
⽇本の古⺠家も⼟間や居間などの〈間〉という字があり、昔から⽇本⼈は⽣活に〈間〉の意識があったことが伺えるという。これは⻄洋の建築が壁を中⼼に構成されていることに対して、⽇本の伝統家屋は柱を中⼼に構成されていることから襖や障⼦が空間の仕切りになったり、空間を広げる役割を果たしたりして〈間〉という概念になったともいう。
物理的にも精神的にも〈間〉は存在している。⽬に⾒えて触れることができる⾁体と、⾮⾔語の部分や触れることができない気持ちという部分。〈閒〉では「触れるものも触れないものも健やかにめぐるほうへ」という想いで⾁体や精神に関わる活動を⾏っている。
2021年5⽉から新⽉と満⽉にそれぞれ〈新⽉の標〉と〈満⽉の標〉という瞑想の時間を通して、ひとりでいることに⾝を委ねる⼤切さも伝えている。
「孤独と向き合うという⾔葉はよく⽿にするけれど、本当の意味で誰かのためではなく⾃分のために宇宙のなかで⼀⼈きりになるということが必要なんじゃないかなと。そうすることで⾝体が宇宙との接点であることや、⾝体があるから時間や空間があるということにきちんと立ち返ることができる気がして」。
難しく⾃⼰と向き合う必要はないという。みんなで⼀緒にひとりでいることで個々がひとりでの⾝の置き⽅を知ることができればそれは⼈間の健やかさにつながる。
〈標の時間〉は平⽇や休⽇問わず⽉が地球にとってエネルギーの強いタイミングで開催しており、その場で提供するお茶やスープは彼⼥が⼿掛けている。
そして〈閒〉の活動のほかにも宮若市にある〈うつしき〉では助っ人としてお店にも立つ彼⼥。様々な場所で自分の活動との親和性を感じながら日々を過ごしている。
また、「触れるものも触れないものも健やかにめぐるほうへ」という願いのもと漁協の組織開発や組織⾵⼟変容にも取り組んでいる。
「⽇本の残るべき各地の漁村の営みや⾵景が合理化の波に淘汰されようとしているんだよね」。
物事が淘汰されること⾃体は⾃然の摂理だと考えることができるが、その仕組によって物事の多様性や循環が持続できなくなってしまうことは、結果として様々な問題を引き起こすという。昔からその地域の暮らしとして営まれていた場所や⽇常の⾵景が、現代社会における組織化や合理化で失われる速度は非常に速い。
「漁村ってそれぞれ⾯⽩いし大切な役割があるんだよね。漁村に限らずだけれど、地方が搾取されずに多様であるまま残っていくということに情熱を使いたい」。
ただ魚をとって人々に供給するという以外にも、漁師、そして漁村は多くの役割を担っている。
漁業を取り巻くあらゆる仕組みに憤りを感じることもある。しかし、それに対して拳をあげるのではなく、現場の⼈たちが⾃分たちで考えて意識を変えていけば、持続可能な営みにつなげていくことができるのではないかと考える。
彼⼥はそのためにコンサルティングという位置で関わりながら、漁師さんと流通や市場の仕組みを考えたり、議論の可視化を⽬的としたグラフィックレコーディングを⾏ったり、現場を⽀える第⼀⼈者として活動している。
彼⼥が漁港に関わりはじめたのは 2018年。とある地域の仕事で⽔産の現場と向き合った。様々な漁港に⾜を運んだことや、⽔産の専⾨家に出会って現場の話を聞いたことが、彼⼥の意識を変えるきっかけにもなった。
農業は有機農業やオーガニックなどの⾔葉からも親近感が感じられることに対し、漁業は難しい距離感が存在しているという。まだ始まったばかりではあるが、⽇本の⾵景や⽂化の⼀部として存在している漁業の多様性を今後も守り続けていくために活動を続けていく。
「幼い頃から古き良きものに多様性や⾯⽩みを感じていて、そのものがある⾵景や時間が好きだったんだよね。だからこそ、それを失うことや、古いものが新しいものにいとも容易く変わってしまうことが純粋に悲しくて」。
美化されていくものだけでなく、⽬の前の事実に⽣⾝で触れて関わることから感じたり得ることを⼤切にしている野瀬瑠美。
⽣きるということは⼈も暮らし⽅も地域も異なっていて当然だということ。その違いは恥ずべきものでも、ただ統⼀されるべきものでもない。⼈や場所が本来持っている道を歩むことさえできれば、他者や世界に左右されることなく、本当の意味で⽣きることができる〈閒〉での時間も漁港での活動も、等しくそこを⽬指している。
野瀬瑠美。何かを導くような強さや情熱と同時に他者を受け入れる優しさや明るさを持っているところが私は好きだ。物事の本質を⾒抜きながらも天然でお茶⽬な彼⼥が尊い。実はまだ出会って数回しか会ったことはないのだけれど、彼⼥のことを少しでも伝えたいと思ってこのように形として残すことに。
その⽇、彼⼥の⾷卓にはベトナムのソウルフードであるフォーと、ラディッシュと⻘菜のナムル、塩ゆで落花⽣が並んだ。彼⼥が用意してくれたスパイスや調味料をフォーに入れて様々な味を楽しむ。その時間は彼⼥の暮らす古⺠家の香りや気配に優しく包まれているようだった。
Ayaka Onishi
大西文香 1994年兵庫県生まれ。写真家。
他の記事をみる