日下部 邑里 kusakabe yuri
冬のはじまりを告げるように冷え込んだ朝。京都市西陣地区ではその冷たさがよりいっそう肌で感じられた。しかし当時京都市内で暮らしていた私は自転車で走ることができる許容範囲だ、とペダルを意気揚々と漕いで冬のはじまりの朝を駆けていく。
京都市内の大通りである千本通を一本中道に入るだけで、大通りの車の音は遠くに消えていくようだった。町家が静かに集まって暖をとっているかのようだ。細い道沿いに並ぶ一軒一軒の佇まいから奥ゆかしさを感じられる。
そのうちの一軒、古い町家で暮らしはじめた日下部邑里。一緒に朝ごはんを食べよう、と素敵なアイディアに便乗した私は彼女の家を訪ねて、玄関のインターフォンを押した。すると玄関ではなく2階の部屋の窓からひょっこりと顔を出すゆりちゃん。その仕草がなんとも愛らしい。
「おはよう文香ちゃん!今降りるから待ってて」。
玄関の扉が開くと趣の感じられる広々とした土間があった。天井が2階まで吹き抜けているのは西陣織りのための機織り機が置かれていたからだろうか。天井に近い窓からは優しい光がこぼれているかのようだ。
「自分の好きな空間をつくり、そこに共感してもらえたり、癒やしを感じてもらえるような場所を持ちたいと思っていたの。そんな時、自分の気持ちに応えるかのようにこの町家と出会って、『ここでやってもいいんだよ』と背中を押されたみたいだった」。
空間を意識するようになったのは、神戸での学生時代がきっかけだ。活発的なフリーペーパーのサークルに入っており、所属している人たちに認められたいという想いから日々しがみつくように活動していた。自己肯定感が低いと自認しているからこそ、周囲に認められなければ自分の存在に意味がないとも考えていた。そして気づけば心に負担がかかってしまい、ある日、ぷつりと糸が切れてしまったようにサークルにも大学にも行けなくなってしまったという。
なぜ自分はここにいるのか、自分の存在を肯定することができない。そんな時に大学の先輩のつながりで出会った神戸の〈cafe matoca〉。そこでの時間が彼女の心を癒やしていくことになる。
「店主の方は私が学校に行けないことを否定せず、私の存在そのものに寄り添ってくれて。お話を重ねる中で、お店は自分の心のシェルターのような場所だと教えてくださって、自分という存在を受け入れる場所を自分自身で作っていらっしゃることに惹かれました」。
彼女を救ったものはほかにもある。ひとつは写真だ。
大学の友人の影響で購入した一眼レフカメラ。それを持って写真を撮るうちに家の外に出て、近所を散歩したりすることができるようになったという。そして周囲や他人の基準をもとに行っていた自身の行動や考え方を見直すきっかけにもなった。自分自身のやりたいことや、自分の気持ちを意識することで、心に芽吹くあらゆる感情が自身にとって大切なものだと感じられるようになったという。
「明るくいることが正しいと思っていたの。身体の体型にもコンプレックスがあったからこそ明るくいないと一人になってしまうかもしれない、と不安を感じていて。けれど写真を撮りはじめたら、腹が立つことや悲しいことなどマイナスな感情も素直に表現することができるようになっていったんだ」。
写真に映る風景に導かれるように彼女は自分の気持ちに対して心から向き合うことができるようになる。彼女にとって写真とは世界に自分の心を預けるために必要なもの。
もうひとつの救いのきっかけはヨガ(以降ヨーガ)だった。少しずつ外の世界に歩み寄ることができるようになっていた彼女はある時、ヨーガのイベントの写真撮影という形でヨーガと出会った。
「ダイエットのためのホットヨガというイメージがあったんだけど、そこでヨーガをしている女性たちが生き生きとした表情をされていて。どんな自分でも自分でいい、という優しい姿勢に満ちていたの」。
当時は女性らしい体型でないことが自分の価値を下げていたり、心の弱さの原因になっているのかもしれない。そう思っていた彼女は無理なダイエットを行い、心身ともにボロボロになった過去があった。ヨーガで心身を感じることがありのままの自分を認めることができる道になるかもしれない。
そして大学4回生の時に、約一ヶ月間、インドで講師養成講座を受けた。ヨーガというものがどのように学ばれてどのように人々に受け入れられているのか、現地で直接感じたかった。異国の空気のなかで身体を世界に解き放つ心地よさが忘れられない。
帰国後、「自信がなくても、人に教えはじめなさい」という師の言葉のもと、未経験でもクラスをさせてもらえる場所を探し、スタジオで講師としてヨーガを伝え始めた。同じ空間に他者がいること、お互いがともにその存在を感じていること、そして身体を動かす時間に心を委ねていること。それらの経験を通して自分自身の〈祝‐yuwai‐〉という屋号でクラスを開くことにもなる。
「自然のなかにある風や光、世界で生きている他者という存在、私たちはあらゆるものに祝福されている。それは自分が自分を一番愛せなかったからこそ、気づくことができたものだったかな。きっと生きることは祝福そのものなんだと思う」。
ヨーガの語源である〈ユジュ〉には〈結合する、つなぐ〉という意味がある。ヨーガを通して抑圧してしまっていた感情に気づいたり、自分はそのままでいいのだということを感じてもらい、心と身体とすべてを結わえていくことができればと考えている。また、古くから〈祝い〉という言葉は〈ゆわい〉と読まれ、自分の名前である邑里にも〈ゆ〉が入っていることから屋号に親しみを感じている。
日々の暮らしにおいても泣きたかったら泣く、辛かったら辛いと言う。自身の気持ちに寄り添って生きている。
「ヨーガをしていても自分を大事にしようと思えないことや、人に簡単に見せられないところを持っていることもあるよ。その時は、ただただそんな自分も認めてあげて、お風呂に入って、寝て、食べることを存分に行っているよ」。
無理なダイエットをしていた頃、食べることが怖くて仕方がなかった彼女だが、農家さんによって育てられた野菜や、大切に料理されたものに出会うことで、食べることで自分に優しくすることができると感じるようになったという。現在は農業塾に通いながら土に触れたり、畑について学んだりして、食に対しても関心を抱いている。
引っ越した町家は彼女にとってまだまだ始まったばかりの自分の場所。生活を営みながら、〈祝〉という屋号でヨーガのほかにも新しい試みを考えている最中だ。
「この町家に慌ただしく引っ越してきて、自分の姿はまだまだ不透明。でもこの家の存在に助けられて自分のやりたいことに近づいていっているような気がしてるかな」。
部屋の中ではまだ建物の外には装飾されていない木の板の看板が用意されていた。木板の〈祝〉という文字は彼女が自身で掘ったもの。そして木板に施されているランプは彼女が大事に想う〈cafe matoca〉の店主さんから贈られたものだった。以前そのお店のことを守ってくれていたランプだという。思わず優しい灯火のようなその看板が建物の外で来る人を迎える光景を想像してしまう。
そして、様々な思いを巡らせる中、2022年7月、彼女は半年間過ごしたこの場所をしばらく経つこととなる。
「新しい風の吹くほうへ、と。このお守りのような、大切な場所を離れることに決めました。後髪をひかれて、寂しさを感じていた時、ふと『あなたがどこへ行っても、此処は、ずっとあなたと共にあります』という言葉が、心の奥から聞こえてきました。それはまるで、この場の声のようで。場の気配を連れて、新しい場所で暮らし、ゆっくりと自分の手当てをする時間を過ごしたいと思います」。
新しい土地へと足を運ぶこととなるが、それはこの場所とのお別れということではない。〈祝〉は既に彼女の中でゆっくりとはじまりを告げている。
「時が来たら、今度は大切な人と共にこの場に戻り、存在を祝福できるような場として、少しずつ〈祝〉を開いていけたらいいなと思っています」。
日下部邑里。光も闇も等しく愛でているような気配がする。一見近寄りがたい世界観を持っている気もするのに、それでも「あやちゃん」と笑顔で接してくれるギャップがたまらない。しっかり者だけど、しっかり甘えてもくれるのでとても嬉しい。彼女の瞳にうつるこれからの未来を自分なりに応援したいと思って、今回はじまりのような時間を取材させていただいた。
その日、食卓には彼女が料理してくれた野菜スープのほかに、〈7T+(セブンティープラス)〉のジャスミンティーや〈坂田焼菓子店〉のシフォンケーキ、秋の味覚である柿が並んだ。朝ごはんの後は中国茶を嗜みながら、窓から差し込む太陽の光に身を委ねるような時間を過ごしていた。
2021年11月27日(土)
Ayaka Onishi
大西文香 1994年兵庫県生まれ。写真家。
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