林 沙也加 hayashi sayaka
なだらかに連なる山々とゆるやかに広がる田んぼの風景。どこまでも車で走ることができそうな穏やかな道中では、時折、黄金色に輝くイチョウがそっと秋の訪れを告げてくれる。柔らかい日差しに包まれて黄昏色に染まる景色には、どこか懐かしさを感じるようだった。
林沙也加さんにお会いするのは実はまだ2度目のことだった。初めてお会いしたのは約3年前。当時、丹波篠山の城下町で器を作りながらお店を営んでいる彼女の姿が、初対面以降ずっと忘れられずにいた。自身の歩むべき道を歩んでいる同年代の沙也加さん。彼女から生まれる繊細で真っ白な器。その背景を辿りたいと思い、3年越しに彼女と再会した。
岐阜県瑞浪市で生まれ育った沙也加さんが器を作り始めたのは20歳の時。幼い頃から絵を描くことが好きで、美術やデザインに関わる仕事を考えていた。ある日、多治見市で焼物について学ぶことができると知り、好奇心の赴くまま〈多治見市陶磁器意匠研究所〉に通うことに。2年間、陶磁器の知識や技術を習得する日々を過ごした。
「私は優柔不断な性格なので、最初から焼物の道を歩もうという確固たる意志はありませんでした。しかし、一度作ってみると、次はこうしたらいいんじゃないかと試行錯誤が自分の中で芽生えてきて。一歩ずつ眼の前の制作に向き合いながら作り続けていたら、いつの間にか陶磁器の奥深い世界に魅了されていました」。
一時は志野焼の器の大胆さに惹かれて制作を試みたことも。しかし、実際に手を動かしてみることで自身の好みと制作する器の違いに気づき、それを受け入れていくことで、少しずつ自身自身の作品に対する理解を深めていった。
卒業後は石川県金沢市にある〈金沢卯辰山工芸工房〉に通い、更に陶磁器の制作に没頭する。当初はグレイッシュな色合いが特徴的な半磁器の土を使用していたが、様々な素材と出会う中でニューボーンと呼ばれる陶磁器土を使用して制作することが多くなった。磁器よりも低い温度で焼成することができることや、柔らかい透光性のある仕上がりに心が惹かれた。
初期に手掛けた作品は、水面に波紋が広がるような形の器。土の質感を活かした柔らかい表情としなやかに光を通す薄さが特徴的だ。高熱で焼き、研磨をして淵のざらつきなどを整えたら再度焼成する。その工程の中では、あまりの薄さに器の底が割れてしまうことも。思い通りに制作できるものではないが、8年経った今でも細かい調整を加えながらその器に向き合い続けている。
「自分が初めてろくろを挽いた時の楽しさや土に触れた時の感動を形にしたのがこの器です。最初は固くて思い通りにならなかった土も、水を含ませてしっかり練ってあげることで軽くなり自由に動いてくれて、この揺らぎのような瞬間を器にしようと思いました。頭で考えながら作ると違和感のあるものが生まれてしまうため、イメージせずに手が土を感じるままに成形することを今でも大切にしています」。
薄い仕上がりから伝わる繊細さと緊張感が気に入り、ある時まで薄い器を作り続けていた。
しかし、作れば作るほど、〈使うもの〉ではなく表現物となっていくことに違和感を抱くようになる。
「器は使ってもらうことで、使用者と器の間にコミュニケーションが生まれます。作っているのは自分でも、実際使うのは他人だからこそ、自分のこだわりを主張しすぎては他者が使用する余地のないものになっていくと感じました。もしかしたら、私の器は他者が使用することでこそ生き生きするものになるのかもしれないと」。
用途を意識した制作の中では、実際に使用したお客さんからフィードバックを受けながら何度も調整を試みた。自分の視点だけでは気づけない新しい発見が他者との出会いによって器づくりに還元されていく。その時間には楽しさも芽生えていた。
「釉薬を実験してみたりすることで生まれる新鮮さにも喜びを感じたり、表現物を作ることで出会う楽しさもあります。その上で、自分は使う人が重宝してくれる器を作り続けたいです。自分のこだわりももちろんあるけれど、それを知らず知らずのうちにじんわり感じてもらえるような。そっと背景にあるような形で感じてもらえたら嬉しいです」。
近年は茶器の制作にも取り組んでいる。薄い呑み口は茶器に合うかもしれないというお客さんからの一言がきっかけだった。中国や台湾では日本よりも自由に茶器が使用されている文化があることから、細かい形式を重視することなくリラックスして作ることができるという。また、自宅でお茶を楽しむ習慣もあり、自身が作っている茶器と向き合うことで新しく調整したい部分が発見できることも。
「一緒に暮らしている夫のライが中国出身で、昔から日常的にお茶と親しむ時間があって。二人とも日々制作で忙しくしているので、お茶があることでほっと一息つけるようなひとときを持つことができています」。
ライさんとは石川県の工芸工房で出会い、木工について学んでいた彼とものづくりの視点や暮らしにおいて共感できることが多く、自然と二人で人生を歩んでいくことに。結婚後、彼の出身国である中国に移住する予定だったが、コロナウイルスにより断念。その時に、ライさんが慣れ親しんだ関西で暮らそうと考え、兵庫県丹波篠山へと移住したのだった。沙也加さんにとっては初めての土地だったが、山々との程よい距離に安心感を抱いたという。城下町の商店街通りでお店をはじめることで、地域の人たちやお客さんと関わる楽しさにも出会った。
「ものづくりを生業にされている方も多く、出会って話すことで勉強になることも沢山ありました。特に心に残っている方は十場あすかさんという陶芸家さんです。手掛けている土鍋などはざっくり大らかなのに、しっくり素直に自分の暮らしに寄り添うような存在だと感じました。何よりも明るく天真爛漫な方で、その人柄も含めてあすかさんの器を大切に使いたいなと思わせてくれます」。
陶芸家以外に出会う作家たちとの関わりからも良い影響を与えてもらっている。暮らしの中で受けるインスピレーションや制作中に感じる孤独との向き合い方、それが作品として昇華された時の喜びなど、ものづくりに携わる者同士だからこそ共感できることや刺激になることが多い。
様々な人たちと関係性を築く上で、相手を素直に受け止めて自分自身も開示していこうとする。そんな沙也加さんだが、実は陶芸に携わる以前は人との交流が苦手だった。
「岐阜で陶芸について学んでいた頃、渋い織部焼を手掛ける青年や陶芸の道を決心された元アパレル店員など様々な方に出会いました。彼らがどうして陶芸を選んだのか、どうしてその作品を作ろうと思ったのか、沢山話を聞いていくうちに、気づいたら器以上にその人の考え方や人生経験に魅せられていました」。
時にはその人の自宅に伺い、暮らし方や生き方に触れることで、制作される器の背景にあるものを学ぶことができた。一人ひとり違う環境で育ち違う価値観を抱きながらも、それぞれが努力を積み重ねて器を制作している。
「モノを作る方は、人生で体験した様々な経験をその人なりの考え方を持って形にされている方が多いです。ものづくりにはその人なりの哲学があり、言葉にしなくてもそれはモノとして醸成されていきます。陶芸を勉強されている方は社会的にお金を稼ぐというのではなく、個々で目指すべきものや追求すべきものを捉えている方々が多かったように思います」。
仲間の精励する姿を目にすることは、優柔不断な自身に陶芸の道を歩むための覚悟をもたらすものだったという。
現在は人の縁に恵まれながら、住居と工房を共にできる場所に巡り合い、自分たちの過ごしやすい場所づくりを目指している。暮らしに目を向けることで生まれる新しいモノのイメージ。それを形にすることにも楽しみを感じている。
「余った土を再利用してマグカップや茶碗を作っています。鉄粉や気泡が一度入った土はろくろでは成形できないですが、手びねりで作ることで温かみのある表情が生まれます。他にも土を使った照明作りに挑戦するなど、自分の作品が誰かの暮らしの中で親しまれるように自分らしく頑張っていきたいです」。
林沙也加。穏やかで柔らかい口調からは、自身の言葉にしたい想いがしっかりと伝わってきた。それは10年近く陶芸に向き合い続けた彼女だからこそ導くことができた気持ちだったのかもしれない。眩しすぎる光を穏やかにたしなめるような、零れ落ちた光を優しくすくい上げるような、凪のように静かだけれど温もりが伝わる純白の器。それは彼女そのもののようだ。
広々とした新しい工房には、彼女の制作した器が仲良しそうに並んでいる。その器に囲まれるように彼女はろくろに向かって制作している。腰掛ける椅子は丹波篠山の木工作家さんに手掛けてもらったものだったり、研磨用の道具は日本では生産されていない貴重なものだったり。作品そのものが持つ主張をなるべく削ぎ落としたいと述べた彼女のものづくりの背後には、確固たる愛情がある。彼女が使用する道具たちがそのことを示しているようだった。
時間を忘れるほど毎日制作に没頭しているという沙也加さん。そんな彼女の暮らしには家族になって間もない愛犬がいる。人見知りながらも、好奇心いっぱいに人間に懐く姿はとても可愛らしい。愛犬のお散歩をすることで制作から離れる時間も、彼女にとっては生活に目を向ける良い機会だという。新しい生命との出会いは、これからも沙也加さんの暮らしに柔らかい光を与えていくのだろう。
Ayaka Onishi
大西文香 1994年兵庫県生まれ。写真家。
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