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中島 英世 nakashima hideyo

  • 2024.03.01

まるで陽だまりに育まれた南国の風を運ぶように彼女はやって来た。彼女が将来目指しているものや人柄などは出会う前から話に聞いていた。だからこそ、出会う前から勝手に出会った気になっており、初対面の時にも再会の懐かしさを感じたのだ。中島英世(以降、英世ちゃんと呼びます)の落ち着いた穏やかな笑顔は今でも私の心を満たしてくれる。

英世ちゃんは鹿児島県の奄美大島で生まれ育った。伝統的な織物である〈大島紬〉が身近にあり、幼い頃から織物やものづくりに興味を抱いていた。高校卒業後は鹿児島にある短期大学へ進学し、生活科学学科を専攻する中で服飾の知識などを学んでいく。その日々の中で、卒業制作のために1枚の布を織った経験が〈織り〉と向き合うきっかけとなった。

「当時、大学でお世話になっていた教授が、大島紬の〈泥染め〉という技法を使った作品を作られていました。織物の経験がなかった私に対して、生まれ育った土地の織物に目を向ける機会だと背中を押してくれたんです」。

卒業制作のために使用したのは大島紬の残糸。その糸を使って布を織るために、夏休みは近所の織り工房を借りて制作を行った。糸の準備や織り方など織物について未経験の中、周囲の関係者や先輩たちに支えてもらいながら、無我夢中になって織り続ける日々だった。

「1枚の布を織り上げた時には、言葉にできない達成感がありました。ひたすら織りのリズムを刻むような感覚や、織り機の振動が全身に伝わる感じ、その熱量を身体や心が噛み締めているような体験でした」。

織物の世界の広さと奥深さに魅せられた彼女は、大学卒業後、地元で4年半ほど織工として大島紬の織りに携わることに。手で布を織っていく手織りの技術を磨いていく時間にもつながった。その傍らで、手織りの布で暮らしに馴染めるものを作りたいという想いから〈ORUHI〉というブランドも立ち上げる。次第に、展示などを通して服を作る楽しさにも出会った。手織りのものだけに限らず、大島紬の古布や植物で染めた布を用いた服の制作など、活動の幅が広がっていくようになる。その中で、お客さんに作品を見てもらう機会が多くなったからこそ、改めて今後どのようなものづくりがしていきたいのかを見つめ直すようになった。

「私は暮らしの中に手織りのものがあることの安らぎを感じていたので、原点の〈織り〉についてもっと知識と経験を深めたいと思いました」。

これまで関わってきた伝統工芸品である大島紬は、他の織物と比べると特有の柄や工程を持ち、図案や染色、織りなどが分業制で行われているのが特徴である。それらを含めた大島紬の一連の工程を知るためにも、まずは島外の織物について学んでみようと、奄美大島を離れる決意をすることに。幼い頃から大島紬に触れていたからこそ、島外の織物に対する好奇心もあった。

どのように図案が描かれるのか。そのイメージはどのように具現化していくのか。素材となる糸はどのように選んでいくのか。作りたいものを手織りで表現していくには今の自分に何が足りていないのか。それらの問いに対して、心の赴くまま京都へと引っ越したのは2022年の秋のことだった。

「織物関連の企業や個人の方と連絡を取りながら織りについて教わりに行きました。作家として織物を生業とされている方が多く、特に、お一人で図案から織りまでされる方に刺激を受けました。その方々からイメージを図案に落とし込む方法や、図案を織物に仕上げていくまでの流れを教えていただき、今後の制作に向けた大きな経験となっています」。

引っ越したばかりの頃は、仕事との兼ね合いで忙しい日々が続いていたが、現在では少しずつ自分の制作にも向き合うことができるようになったという。自宅には譲り受けた織り機があり、織りはじめると夢中になって、気づけば夜通しで制作していることも。織り機に向かっていない時間は、大島紬や織物についての書物を開いたり、ノートに図案を描く練習を繰り返したり、作家さんのアトリエに足を運んで話を伺ったりしている。

ひとつひとつ丁寧に向き合っていくことで、〈ORUHI〉で自分が納得したものづくりをするための道を作っている。

現在の〈ORUHI〉の活動は受注による制作が中心となっている。また、ゼロからのオーダーメイド以外にも、持ち主が所有している使えなくなった布や思い入れのある布をリメイクして、再度その人の暮らしに還すというものも行っている。長年使用されて生地が擦れて着ることができなくなった大島紬を修復した経験がきっかけだった。

「持ち主の方の話を聞いていくうちに、擦れてしまった生地の部分もその方にとっては思い出のあるものだと感じました。だからこそ、擦れてしまった箇所は捨てずに、細かくひも状に裂いて、緯糸代わりに織り込む〈裂き織り〉と呼ばれる技法を用いて修復しました。その方の手元に戻り、再び日常で大切にされていく。その光景には自分の手掛ける織物の喜びがありました」。

他にも、持ち主の使わなくなったカーテンを裂き織りして新店舗のための暖簾を作り上げるなど、持ち主と言葉を交わすことで生まれる織物に感動があるという。

また、幼い頃から織りや布を身近に感じていた彼女は、「布ってどこで買ったらいいんだろう」という知人の言葉から、日常的に人と布との距離が遠いことに衝撃を受け、インドで出会った布や糸を販売する試みにも挑戦した。

「インドの織物工場で職人さんが布を織っている風景や、手織りの布が暮らしの中で使用されている風景などを直接目にして、心が揺さぶられました。その感動やインドでのものづくりの魅力について、販売会を通して知ってもらえたことが嬉しかったです。また、日本ではなかなか出会えない布や糸を楽しく選んでくれたことも忘れられない思い出です」。

一緒に企画を形にしてくれたのが、英世ちゃんにとって大切な存在であるアーティストのLuca Delphiだ。彼女との出会いや、自身で織った帯を演奏会での衣装として使ってもらったことは、英世ちゃんのものづくりの情熱を支えている。

「LUCAさんの物事への考え方や民謡を歌う姿勢、真っ直ぐな生き方を尊敬しています。着物を着る文化がなくなりつつある現代で大島紬と向き合うことや、ものづくりにおける大量生産や破棄などから生じる問題など、自分が抱えていたものも分かち合うことができて、共に歩んでくれる大切な友人でもあります」。

京都への引っ越しを提案してくれたのも彼女だった。縁によって出会った土地。日頃お世話になっている〈STARDUST〉店主かなさんとスタッフのみなさんからは、日常において楽しさや美しさをキャッチすることの大切さを教わったり、周囲でものづくりをしている人たちからは、楽しみながら制作に励む姿勢を教わったり。京都での日々は、生き方そのものを学ぶ出会いで溢れている。

 

京都で暮らしているからこそ出会えたもの。そのひとつに奄美への想いもある。

「地元の奄美では海が日常的にありました。思考が行き詰まった時は海へ行って泳ぐことで考え方をまとめたり、気持ちを整えたりしていました。地元から離れたことで、時々、奄美の海を恋しく思うことがあります」。

自身が生まれ育った自然豊かな土地。その風土の中で育まれた伝統的な大島紬に向き合いながらも、奄美に根付くものづくりはそれだけではないと感じている。

「奄美では芭蕉の繊維で作られた芭蕉布も古くから日用品として作られていました。それらは奄美の人々の暮らしにおいて欠かせないものでしたが、いつしか大島紬の流行によって隠れた存在となってしまったように感じられます。現在は、伝統工芸品としての大島紬を次世代に残そうと携わる人たちそれぞれが努力されています。その中で、私は芭蕉布についても大島紬と同じように人々の暮らしに寄り添うものとして伝えていきたいです」。

大島紬と芭蕉布。どちらにも土地が育んだ素材や手織りという技術、歴史的背景があることを、織物と共に生きている島民の人たちにももっと感じてもらえたら嬉しいという。そして、手織りのものが暮らしの中で使用されること、そこにある喜びを感じてもらうために、日々、織りに向き合う時間を欠かさない。幼い頃から目にしてきた〈織り〉が日常としてある光景。それを今は自分自身の身体を通して実感している。

「奄美では、学校の帰り道に織り工場からの織り機の作業音などがよく聞こえていました。それは、ものづくりが街や生活にある証であり、それらの思い出や音のリズムは今でも自分の暮らしの一部となっています」。

〈織る日々から生まれること〉という意味から名付けた〈ORUHI〉。

一枚の布として仕上がるまでに早くても数ヶ月の時間を要する。手間と時間をかけながら手掛けていく彼女の織物は、単なるものづくりや表現には留まらない、人を支えるような想いで溢れている。

「織物を通して、その人が大切にしているものを、これからも大切にするためのお手伝いをしているような気持ちです」。

中島英世。彼女の落ち着いた人懐っこさは出会う人を優しく包み込んでくれる。そして、ものづくりに向き合う姿勢からは、凛とした誠実な輝きを感じる。まるで、自然の美しさに染められ、紡がれた一本の糸のようだ。その糸は経糸や緯糸として1枚の布を織りなしていく。今日織り始めて明日完成する簡単なものづくりではないからこそ、英世ちゃんは時間をかけることで形にしていくことに丁寧な想いを向けている。きっと織物が与えてくれる温もりや暮らしの喜びを。彼女自身が一番確信しているからなのだろう。

英世ちゃんの自宅には奄美産の真菰や芭蕉で作ったコースターや、織物に関する古い書物、インドの糸、プレゼントでもらった貝殻など、彼女らしいお守りのようなものたちが、部屋の隅々でそっと暮らしを支えている。

そのひとつひとつに込められている小さな物語を、彼女は丁寧に話してくれた。眼差しは優しく、言葉のひとつひとつには素直な気持ちが表れていた。英世ちゃんが愛でる日常。そのかけらは彼女が手掛ける織物にもそっと添えられている。

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Ayaka Onishi

大西文香 1994年兵庫県生まれ。写真家。



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