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表 萌々花 omote momoka

  • 2024.03.15

写真の撮り方は人それぞれ異なる。同じカメラを使用していても、同じ構図で撮影していても、同じレタッチ作業を行っていても、その先には決して同じ写真は生まれない。

だからこそ、彼女の瞳を通した世界はどのように映っているのだろう、という素朴な疑問がずっと頭の片隅に残っていた。写真家として活動する彼女の写真は世界を変えるかもしれない。その希望をずっと心に抱いていた。

東京暮らし7年目を迎えようとしている表萌々花ちゃん。(以下、ももちゃんと呼びます)

彼女の言葉の輪郭ははっきりとしていて、自身の明確な想いを写真に投影させようとする強い意志が感じられた。

「もともと諸国の貧困問題に取り組む活動をしたいと思っていました。高校生の時に、貧困国の子供とパートナーシップを組んで毎月支援金を送るプロジェクトに参加したことがきっかけでした。寄付したお金でその子ができるようになったことがレポートとして届くことがとても嬉しくて、もっと彼らのために何かできるようになりたいと考えました。そして3年間、通信の高校に通いながら旅の資金を集め、卒業後にバックパッカーとして貧困国のボランティア活動をはじめました」。

東南アジアをスタートに1年間各国を移動しながら最後にたどり着いた場所がスペインだった。ある日、バルセロナでアフリカからの難民受入要求のための大規模なデモが起きる。ギリシャで撮影された難民キャンプの様子が映像や写真を通して市民に伝わったことが始まりだった。友人から話を聞いてデモに参加したももちゃん。写真がひとつのきっかけとなって人々が行動していくことに感銘を受けた。18歳の時だった。

「社会を変えるためのひとつのツールになるかもしれないと写真が持つ力に魅了されました。戦争やテロ、差別などに対して自分ができることは写真にあると思いました」。

帰国後は上京してカメラマンのアシスタントとして写真やカメラについて学び続ける日々を送った。東京で暮らしていくために合間を見つけてはアルバイトを掛け持ちしながら過ごした。

3年後、写真だけで食べていくと決意して独立。

「アルバイトも全て辞めたので、写真だけで食べていけるかという恐怖はありました。けれど、それよりも写真以外の何かに甘えることのほうが嫌でした」。

仕事とは別に自身の作品撮りも行っている。初めて作った写真集は〈星霜〉。地元の岐阜で目にした光景の中で、生まれてくる新しいものや朽ちて死んでいくものをテーマとした。

「実は、制作において尊敬している地元の写真家・田中一郎さんが手掛けた写真集をモチーフとしました。彼は自身のご家族と街の風景を撮り続けたものを4つの写真集としてまとめていて、時代と共に街や風景が変化していく様子をひたすら淡々と撮られていることに衝撃を受けました。彼の続きをやってみたいという想いから地元の飛騨高山を撮り続けています」。

〈星霜〉には〈死〉に対する気持ちも込められている。いつ来るか分からない死に対して、日常的に恐怖心を抱いていた自身の経験がもとになっていた。また、猟師に同行して一匹の鹿を殺した経験を作品としてまとめた〈たむけ〉も制作した。

現在取り組んでいるテーマは〈Tower of silence〉。ゾロアスター教における鳥葬を行う塔の名前をタイトルとし、日本各地の火葬場の煙突を撮影している。近年の火葬炉は旧式からの切り替わりによって、高煙突がなくても遺体を燃やすことができるようになった。そのため全国の火葬場から煙突が姿を消している。その現状を知り、煙突のある風景を写真に残そうと決めたのだ。

「〈死〉を見たくないという気持ちは誰しもが持っているものだと思います。けれど、火葬場から立ち昇る煙に亡くなった人への想いを寄せることは、人が人として生きた証を想うことでもあり、日本の価値ある文化だと思います。だから、その文化があったことを記録として残したいと思いました。また、そのようにカメラを向けていくことで、〈死〉は怖いものではないのだと自分の中で〈死〉の在り方を受け入れることができるようになりました」。

〈Tower of silence〉の作品撮りのために岐阜や大阪、神奈川、瀬戸内海方面など、様々な場所へ足を運んでいる。火葬場の写真を形として残すことで、〈星霜〉〈たむけ〉と共に死の在り方を想った3部作が完結する予定だ。

また、今後も〈星霜〉の続きとして、地元での人々の暮らしは写真に残していくと決めている。田中一郎さんの残した街の風景に感銘を受けたからこそ、彼女なりの恩返しのつもりで地元に向き合いたいという。

「最近は仕事で北アルプスのガイドブックの撮影を行っているのですが、自然に還りはじめている廃村などどこか分からないような場所を撮っています。実際に人が暮らしている様子を撮影するよりも、人が居なくなった場所の方が気配や余韻を通して〈土地の存在〉を強く伝えてくれるのではと思っています」。

仕事における撮影でも自分なりの考えを放棄せずに臨み続ける。そんな彼女にも自分なりの写真が撮れずに苦しんだ経験がある。雑誌の撮影で訪れたメキシコでの出来事だった。20日間かけてメキシコの各地域を巡りながら土地に根付く民藝品の取材と撮影を行う内容だったが、現地に到着して早々にカメラのシャッターが切れなくなった。

いい写真とは何なのか、自分がこれまでどのように撮っていたのか、何も分からなくなり、初めてスランプのような状態に。そこで気持ちを整理することを意識した。

「自分の中にある重たい感情を一つずつ訪れた街に置いていく作業をしました。すると、移動して次の場所へ行くたびに心が軽くなり、気づいたら目の前の風景がしっかり見えるようになっていました。再び撮れることができて本当に嬉しかったです。また、撮れない苦しさを味わったことも心に残る経験となりました」。

メキシコでの時間は民藝品との出会いによりさらに濃密なひとときとなった。伝統的な歴史を持つナトラ焼き、なくなりかけている花ろうそく、福祉施設の利用者が手掛けた張り子、諸国との歴史的背景から生まれた織物など、それぞれが営みと共に土地に根付いているものばかり。それらのメキシコ民藝品を〈かたちのない民藝〉として捉えることにした。

民藝品に意識を向けたのには理由がある。実家の近所にある〈やわい屋〉で店主の朝倉さんと話すうちに民藝について興味を抱くようになったことがきっかけだった。最初はモノとしての民藝に惹かれていたが、次第に思想としての民藝に魅了されていくようになった。

「朝倉さんのお話を私なりの解釈でお伝えすると〈民藝は、生き方〉ということです。形として存在はしているけれどそれで完結しているわけではなく、その背景には作った人、買った人、使った人、譲った人などそれぞれの経緯があります。だから、民藝とは先人たちの紡いできた暮らしを自分が次の世代に繋いでいくための形のないものなのかもしれないと感じました」。

民藝に対する答えを自分なりに見つけようとメキシコを旅した。そして心惹かれたメキシコ民藝品を日本に持ち帰ることに。中には絵付けがきちんとされていないものや、ひび割れがあるものもあったが、作り手がどういう環境で作っているのか、どのような想いで作っているのか、ものづくりの背景にある美しさで手にとったモノが多い。帰国後、写真展と共に民藝品の販売会も行った。モノ自体が持つ土地のエネルギーや暮らしとの関係性を物語る様子は写真だけでは伝えきれないものだった。

「ずっと写真だけをやってきたからこそ、その他のことをすることに抵抗がありました。けれど、写真だけではなくモノも一緒に届けることで、手にした人の記憶の賞味期限が伸びる感じがしました」。

調べたこと、疑問に感じたこと、向き合いたいと思ったこと。それらに対して素直に足を運ぶ。その行動力の背景には母親との関わりがあった。貧困問題について伝えたいと思った時に母親から言われた〈自分の目で実際の環境を見ていないのに、どのように貧困について伝える人になるの?〉という一言が旅を決意する鍵となったという。何かに守られることなく、自分自身で行動しようとする勇気は母親の強さと比例しているのかもしれない。

表萌々花。彼女ほど有言実行でたくましい人は現代において稀有な存在だ。彼女が写真を通して、そして人生を通して伝えようとしているもの。その意志は決して攻撃的すぎるものではなく、かといって平和ボケすぎることもない。世界の真実を恐れずに伝えようとしてくれている。それでいて彼女の人柄はとてもフレンドリーでいつも何かしら楽しそうに好奇心を抱いている。

そんなももちゃんが撮り続けるもののひとつに家族の存在がある。中でも17歳差の妹であるニコちゃんの成長を記録することは楽しい時間に溢れているという。

「写真に残していく度、成長と共に彼女の社会が広がっていく様子や自分の知らないニコに出会える瞬間があって、いつも喜びを与えてもらっています」。

東京で暮らしているからこそ離れた家族を想う気持ちは募る。そんな時にもうひとつの実家のように安心できる場所が東京にはあった。代々木上原の〈ハコギャラリー〉だ。オーナーの榎本さんに支えてもらいながら写真展やメキシコ民藝品の展示会を行った場所でもある。そんな彼女のお気に入りの場所で取材をさせていただいた。どの時間帯にどんな光が差し込むのかを嬉しそうに話すももちゃん。それを知っているのはハコギャラリーで過ごす時間が好きだからに他ならない。

ももちゃんの瞳に映るものは自分が目にしているありのままの世界と同じはずなのに、そこに宿る彼女の解釈が世界をより愛おしく思わせてくれるようだった。ももちゃんの撮る1枚には本音が詰まっている。これからもきっと彼女はこの世界を諦めることはないのだろう。

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Ayaka Onishi

大西文香 1994年兵庫県生まれ。写真家。



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